大会開会式と雑魚寝とあたたかい支援

朝10時過ぎ、一足先に私だけ車で出発しました。午後2時から花巻市役所石鳥谷支所で行われる「監督会議」に出席する為です。子供たちは、

後からバスで開会式会場に直接向かう予定です。

 

震災直後の絶望的状況から、チームの再結成を

経て思わぬ形で出場することになった東日本大会ですが、よくぞここまでたどり着けたと改めて

思います。

震災後、練習試合会場へ向かうため、何度も通った岩手県の道を車で走っていると、いろいろな

思い出が走馬燈のように脳裏を駆け巡り、感無量です。


監督会議では、震災さへ無ければ、翌日の3月12日に練習試合を行う予定だった「花巻西南

スポーツ少年団」の監督さんと再会し、お互いの無事を確認し合いました。

 

震災直後は、全ての情報と通信手段が遮断されていましたので、気仙沼を取り巻く状況さへも把握できず、花巻とも当然連絡が取ませんでした。

その為「もし花巻さんが練習試合に来たらどうしよう?」などと、今思うと実にトンチンカンな

心配を当時は真剣にしていました。
お互い、とても練習試合が出来る状況ではなかったのですが、それは後になって知ったのでした。

午後3時30頃、開会式会場の石鳥谷ふれあい

運動公園に到着すると、既に多くのチームが集まり、会場は華やいだムードに包まれていました。

 

我がホワイトタイガースの子供たちを見つけると、元気な笑顔で入場行進の練習をしている

ところでした。

 

しかし、間もなく天気が急変して雨が降り出し、開会式は急遽近くの体育館に変更ということで、参加チーム全員で大移動となってしまいました。

 

きれいに準備されていた晴れ舞台で子供達に行進してほしかったのですが、とても残念でした。

 

開会式終了後は、チームの集合写真などを撮り、本日の宿泊先である新農村地域定住交流会館

「むらの家」に1度戻りました。

この宿は花巻市で管理している研修施設で、

古民家を改修して保存しつつ、スポーツ少年団

などの団体活動の宿泊や研修の際に利用される

場所です。

宿泊料は、シーツ、タオルケットを持参すると

何と!「無料」というから驚きです。

 

活動資金を援助に頼っている現在、これには本当に助かりました。

 

この施設は今回、地元花巻西南スポーツ少年団の監督さんに紹介して頂きました。

 

部屋は8畳間が3つに、10畳間1つ、更に板の間もあり、27名の宿泊には十分の広さがありました。

民家に入ってすぐの所には、本物そっくりな実物大の馬の模型が飾られた馬小屋もあり、歴史的な勉強にもなる施設ですが、「一番最後まで寝ない奴は、馬小屋に寝せるからな!」と釘をさすと、「馬、こわーい」とはしゃいでいました(^^)


今回宿泊した子供は、小学生14名と応援のため中学生7名です。部屋割りについては子供たちに任せたのですが、小学生が2部屋、中学生が1部屋になるのかなと思いきや、各部屋に中学生が2・2・3名と分かれて入り、小学生と一緒の部屋に自主的に分かれたのには、ちょっと驚きました。小学生の面倒をみようという思いで、そうしたのでしょか?微笑ましく思いました。


最近は、修学旅行でも2人1部屋などというのが普通となってきましたが、団体競技のチームには、「みんなで雑魚寝」が最適だと私は思います。

子供たちにとって、記憶に残る一夜となったことでしょう!

宿には風呂と食事は無いので、近くの食堂と温泉へバスで移動して済ませる事にしました。

 

夕食は、岩手県出身の「林コーチ」が時々利用するという「いこい食堂」で食べましたが、会計を済ませた後、この食堂の社長さんからということで、支援金を頂きました。これでは、夕食をただで頂いたようなもので、恐縮してしまいました。
またしても岩手の人たちの優しさ、心の温かさに触れ、感動すると共に感謝・感謝です。
花巻を訪れる際には「必ず」この食堂に寄ろうと心に誓いました。本当にありがとうございます。

 

※ここで食堂の紹介をします(せめてものお礼)

「いこい 金矢店(かなやてん)」 花巻市金矢7-50-1
花巻の郊外、花巻温泉へ進む途中にあり、花巻温泉郷にもほど近いです。

県道花巻温泉郷と県道盛岡和賀線の交差点より、和賀方面へ約800mほどの位置です。 

駐車場には大型のスペースもあるいので、長距離トラックの運転手さんにも使い勝手外が

よさそうな造りですよ。近くにお越しの際は、是非みなさんもお寄り下さい。

宿に戻り、簡単にミーティングをした後、消灯を10時30分としましたが、全ての部屋が寝静まったのは、午前2時を回っていた。おいおい、大丈夫か?

明日、子供達はどんな戦いをするのだろう?