復興元年 年頭にあたり改めて現実を直視しました

2000年の元旦に、当時小学校5年生だった長男と、私の実家までの55kmを自転車で

出かけて以来、元旦には、何か残るような事をしようと思い、毎年10㎞走を恒例行事

としています。

 

今年は、震災の復興状況を目に焼き付けておこうと思い、被害の大きかった地域を走る

ことにしました。

これらの地域は、普段復興の為の作業車が沢山行きかい、仕事の邪魔になるので、

なかなか通りづらいのですが、元旦の為、さすがに全て休みで車の往来はまばらで、

写真を撮りながら走ることができました。

 

しかし、街には思い出の場所が沢山さんあり、それらの場所を通る度、つい立ち

止まってしまいます。

家を出てすぐの河原田大通りを走ると、人も車も通ることなく、ひっそりと静まり

返っていました。お正月の雰囲気など、まったく感じられません。
河北ビルの角を右折し、三菱自動車の所も右折し、ほとんど流されてしまった風景を

みながら走ります。

そして、内の脇方面に左折しました。内の脇地域も殆ど何もなくなってしまいました。

写真は、「河原田大通り」と、4月から気仙沼小学校と統合が決まったと聞く、

「南気仙沼小学校」です。小学校の校庭は、流された車の集積場になっていました。 

 

日本ハムファイターズと阪神タイガースで活躍した

金村暁選手のご実家「湯みえ~る」の残骸がまだ

残っていました。

私は、新婚当時、その裏側の方にあるアパートに

住んでいましたが、アパートの跡形も有りません。

近づいてみると、残された基礎部分から、当時

住んでいた部屋を推測することができました。

もし、その後もここに住んでいたら、どうなって

いたことでしょう?

ほとんど、どこを走ってるのかわからない状況の中

中央公民館にたどり着きました。

中央公民館の後ろの野球広場は、瓦礫置き場となり

すっかり埋め尽くされていました。

つい1年前まで、朝野球で使用していたグランドです。
20代の若かりし時は、ここの平らな投げづらい

マウンドにも立ったものです。

そのマウンドの位置と思われるところにも立って

みました。今は、なんて高くなってしまったので

しょう!高く積み上げられた瓦礫のマウンドです。

 

悲しい思いを振り払い、海の方へと走ります。
岸壁もすっかり破壊され、道路脇には、土嚢が

積み重ねてあり、海の水が道のすぐ横まできています。
長男、次男が小さかった頃、何度か、苦手な釣りに

来た場所です。

 

海岸沿いを気仙沼湾内沿いに走ります。魚市場

閉鎖中の「海の市」の前を通り抜け、気仙沼

プラザホテルの下に来ます。

ここには、私が、勤める会社がありました。
震災直後は、新事務所を開設することが早い段階で

決定し、そこへ引っ越しのため、2階にあった

泥だらけになった事務所に入り、まだ使える

スチール製の机や戸棚などを運び出したものです

(1階部分は完全に津波で流されました)。

また地震が来たら倒壊するのでは?という恐怖心も

抱きながら、何度も事務所に入り、新事務所まで

軽トラで運んだものです。しかし、今はすっかり建物は取り壊されて、きれいに整地されて

いました。

復興屋台村「気仙沼横丁」の角を右折すると、大島に渡る船着き場のエスポートです。

エスポート駐車場の壁1面には、気仙沼海の街を象徴する多数の大漁旗が鮮やかに

掲げられていました。

唯一お正月らしさを感じさせる華やかさでした。

大漁旗を写真に収め、また海岸沿いを走ります。

五十鈴神社下を通り、鹿折地区に入りました。鹿折地区一帯は、震災直後の津波と

大火災によりほとんどの建物が、焼き尽くされた地域です。あの信じられない光景は、

今でも目に焼き付いています。

 

旧国道45号線を北上しますが、道路はかさ上げされ、瓦礫は、大分撤去されていました。

残された大きな建物や大きな船や車など、手付かずのままの物もまだまだ見受けられます。

 

鹿折地域は、気仙沼ホワイトタイガースの中学生が住んでいた街なので、多くの子供達の

家が流されてしまいました。
子供達の顔を思い出すと心が痛みます。

鹿折唐桑駅付近に打ち上げられた大型船の所を右折し、冬場の練習時、準本拠地として

利用していた鹿折公民館を目指して走ります。震災前最後の練習もここでしました。

 

公民館の駐車場の所に行くと、流された車の集積置き場となっていました。建物も

津波をかぶり、再開はとても無理と思われる状況でした。

 

あとは、今来た道を重い足取りで自宅まで引き返しました。家に着き、時計をみると、

丁度70分が経過していました。通常なら、1時間以内で走れる道程ですが、何度も

立ち止まってしまい、遅くなってしまいました。

 

さあ、2012年が始まりましたが、気仙沼の復興に向け、一歩ずつ前進して行くように、

1日1日を大切にし、自分の出来る事で協力していきたいと思います。