ユニフォームを作ろう!
その① 仲間からの支援
私(監督の大槻)は、1991年~1993年の2年間、青年海外協力隊のソフトボール隊員と
してインドネシア共和国に派遣されていました。その当時の一緒に活動していたOB・OGが、
今回の震災で被災した子供たちのためにとお金を出し合ってくれ、気仙沼ホワイトタイガースを
支援してくれています。
この支援については、また改めて報告しますが、このお金をホワイトタイガースの当面の活動資金として活用させて頂こうと思っています。
そして、第1弾として、津波で一切を流されてしまった子供へのプレゼントとして、このお金を
使いユニフォームを13着作る事にしました。
また、下で説明の通り、名足小マリンガールズの分15着、大谷中ソフトボール部の分21着が
追加されましたので、今回は合計49着をオーダーしました。
その② インドネシアで作ります
我が気仙沼ホワイトタイガースのユニフォームは、これまで私がインドネシア共和国出張へ出発
する前に日本から現地に注文し、出張時に現地で受け取ってくるというものでした。
因みに、出張先は「バリ島」という観光地で有名な島ですが、ユニフォームの製造は、お隣の
ジャワ島西部にあります「バンドン市」の縫製工場で行い、バリ島へ送ってもらっています。
ここバンドン市は、中国が台頭する前、「アジアの縫製工場」と言われた街で、今でも高い縫製
技術があり、品質はなかなかのもので、価格こそ物価の違いからかなり格安ですが、出来栄えは「まあまあいけてます」。
お世辞もあると思いますが、「ホワイトタイガースさんのユニフォームかっこいいですよね!」
なんて言われたことも何度かあるくらいです。
白が気仙沼ホワイトタイガースの公式ユニフォームです。試合や、小中合同練習などに
使用するフォーマルウェアです。
一方、青は小学生チーム専用ユニフォームで、今は主に小学生単独で練習する時に着用
しています。
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ユニフォームが届いた!
その① みんな一緒に
今回は、わがチームのユニフォーム調達事情を知っている、気仙沼市内の大谷中学校ソフトボール部顧問の先生からも、「津波でユニフォームを流されてしまったので、21着ほど一緒に製作を
お願い出来ませんか?」と頼まれました。
大谷中ソフトボール部のユニフォームの注文を受けた後、同じ三陸海岸に位置するライバルチームでもある「名足小マリンガールズ」の事が気にかかりました。
震災以来、自分のチームの事で精一杯でしたので、連絡を取っていませんでした。監督の家は海岸沿いでしたし、「監督も子供たちもどうしているだろうか?」と心配です。
もしかしたらユニフォームにも困っているかもしれません。
その② 名足小学校マリンガールズ
そこで、名足小マリンガールズの監督さんへ恐る恐る電話をかけてみると、携帯電話の呼出し音が鳴り、「ちょっとほっとした」と言うのが率直な感想です。
続いて、監督さんの声を聞くことが出来またひとつ安心しましたが、聞けばやはり多くの子供達の家が津波で流され、ユニフォームや道具が一緒に流されてしまったということでした。
子供たち全員命は助かったのが唯一の救いでしたが、みんなヤル気を失ってしまったそうです。
数名の子は引越を余儀なくされ、今では部員が7名になってしまったとのこと。
さらに、名足小学校の校舎は津波の被害で使えなくなり、子供たちは近くの伊里前小学校で授業を受けているそうです。
今、監督は、伊里前小学校の子供達にも声かけて、何とか9人集めてチームを再建したいと話してくれました。
その③ 提案
そこで私は、新しいユニフォームを見れば、子供たちも少しはやる気が起きるかもしれないと
思い、とっさに「今回の出張で名足小マリンガールズさんのユニフォーム新調してプレゼント
しますから。また一緒にやりましょうよ!」と監督さんと提案し、再起を約束しました。
その④ デザイン
家に戻りすぐに現地に確認すると、ギリギリ納期に間に合うが、デザインの修正とか、細かい事を打ち合わせている時間はないというので、私の独断でユニフォームの仕様を決めました。
デザイン :気仙沼ホワイトタイガースと全て同じ
色 :赤
マーク :胸に「Marine Girls」
これで15着を注文しました。
子供たちが気に入ってくれるか分かりませんが、いつの日か、復興した暁にはこのユニフォームはアウェー用にまわし、正式ユニフォームをまた作れば良いと思います
その⑤ 名足小マリンガールズへ届けてきました!
インドネシアで無事受け取り、帰国しました。
最初に名足小マリンガールズの監督の自宅に届けました。震災後初めてお宅を訪問しましたが、
海のすぐそばという事で、1階は津波の直撃を受け半壊状態でした。現在でも電気・ガス・水道のライフラインは、まだ復旧していませんでした・・・・。
目にする光景は、震災直後とあまり変わっていないと思われる状況だっただけに、監督さんと話をしながら、涙が出てきました。名足小マリンガールズのメンバーはその後もチームを辞める子が
2名おり、現在は5名のみとなってしまいました。
震災後まだ1度も集まっていないそうなので、仕方がありません。
6月の県大会には、人数が揃わないので残念ながら出場出来ないと言っていました。寂しいです。
監督ご自身も大変な状況の中で、「頑張って」とか「待ってますから」とは軽々しく声を掛けられ
ませんでした。
ユニフォームをそっと渡し、いつの日か真っ赤なユニフォームが光り輝きながらグラウンドに
戻って来る日を祈りながら、名足を後にしました。
その⑥ 大谷中のユニフォーム
次に大谷中にもユニフォームを届けました。大谷中さんへも「ユニフォーム寄贈」の申し出をしましたが、顧問の先生からは「今回はこちらからお願いして作って来て頂いたので、お支払いさせて下さいと」と丁寧にご辞退されました。
その⑦ 最後に
これまで、気仙沼ホワイトタイガースの復興に全力を注いでいたため、回りに目を向ける暇が有りませんでしたが、ユニフォームを通じ、ちょっと外へ目が向いた瞬間、同じ被災地でもまだまだ
震災直後とあまり変わらない所があることを目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。
これから私たちは、一体どうしていけばいいのでしょうか?
6月9日現在の名足小学校の様子
子供たちは近くの伊里前小学校で授業を受けています。
言葉になりません・・・。
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大谷中学校の様子。校庭には、仮設
住宅が建ち並びました。