またいつか、一緒にやろう

津波で家を流され、気仙沼を後にしたチームメイトがいました。新しい生活の場で、元気に暮らしているだろうかと、転校した子供のニュースを見るたびに思いを馳せます。


気仙沼に残って頑張っている人もまた、日々戦っています。

 

震災直後、私は「もうソフトボールなんかやっている場合じゃない」と廃部を覚悟していました。

 

ところが、子供達や保護者の方々からは、「いつから練習再開するの?」とか「ソフトボール早くやりたい」といったメールが多数届きました。

 

それは、避難所暮らしの人たちからも届いたのでした。

 

この声に背中を押してもらい、気仙沼ホワイトタイガースを再起し、また多くのあたたかい援助と子供たちのやる気に支えられ、今日まで自分でも信じられない位、順調にやって来られています。


廃部になるどころか、人数も増え、用具も揃い、そして子供達の意気込みが震災前より高くなった事が、何よりの喜びです。


しかし、今日また一人ホワイトタイガースを去った子供がいます。


平成の大合併で、気仙沼市は以前よりかなり広い面積になりました。退部した子は、大谷地区と言って、気仙沼市街地から22kmほど離れている場所に暮らしています。

 

震災前、ご両親は共働きで忙しいのにも関わらず、熱心にホワイトタイガースに協力して頂き、

毎週お子さんを送迎してくれていました。

 

ところが、震災で生活・仕事共に大打撃を受け、更に忙しい毎日を送っております。とても子供を送迎出来る状況ではなくなりました。

 

お子さんは当初、「バスの乗り方教えて!」と言っていましたが、小学生の女の子を一人バスで

通わす訳にもいかず、ご両親の意向に沿い、一旦退団する事になりました。


一言で、震災と言ってもホワイトタイガースへ与えた影響は様々です。

震災で絆が強くなった半面、不本意にチームを去る子供もいます。この状況下でソフトボールが

出来る事にありがたさを感じつつも、ソフトボールどころではない人もまた居ることを忘れては

ならないと、改めて思い知りました・・・・。

 

またいつか、ソフトボールを出来る日が来るといいね!