チームの歴史 - Team History

私(大槻)は震災前、水曜日だけ気仙沼小学校野球部のお手伝いをしていました。この野球部の

水曜練習の時、いつも4~5人で遊びに来ている女の子達がいました。

その子たちは、鉄棒で前転、後転をグルングルンと繰り返し、「すごい運動神経だな」と私は感心していました。その中に、気仙沼小学校野球部監督の娘さん「なぎ」ちゃんがいました。

 

この頃、ソフトボールチーム結成を考えていた私は、チームを結成するにあたり、どうやって子供たちを集めようと迷っておりました。丁度、その時私は彼女たちと運命的な出会いをしたのです。

 

私はなぎちゃんらの運動能力の高さに惹かれ、なぎちゃんに「ソフトボールやらない?」って声を掛けてみました。すると、意外にもあっさりと「やるーっ!」というので、「じゃ、友達も誘ってきてね」と言うと4人の友達を連れてきてくれました。

こうして、気仙沼ホワイトタイガースを構成する初期のメンバー5人衆が誕生したのでした。

 

続いてチーム名を考えました。「チーム名は何にする?」と尋ねると、なぎちゃんがすかさず

「ホワイトタイガース!」と叫びました。

私の第一印象は「何か清々しい良い響きだな」と感じ、すぐに気に入りました。

 

早速「ホワイトタイガー」について調べてみると、近くには同じ名前のチームはなさそうです。

また、中国では、ホワイトタイガーは縁起がいい生き物とされてい事も分かりました。

さらに、なぎちゃんの学年は「寅年」で、ついでに私も「寅年」生まれです。

どうでも良いことですが、私は大の寅さん(男はつらいよ)ファンでもあり、運命的なものを

感じ、チーム名は「気仙沼ホワイトタイガース」に決定したのでした。

 

こうして、ホワイトタイガースの歴史がスタートしました。

 

もし、あの時なぎちゃんが「やるーっ!」と言わなかったら、果たしてホワイトタイガースは

結成されていたのでしょうか?

彼女らとの出会いが、現在のホワイトタイガースの原点になっています。

 

この様に、ホワイトタイガース設立を決定付けたキーパーソンだけに、いつかまたなぎちゃん

には、チームに戻って来て欲しいなぁ。